来たる7/19(日)16:30~18:00頃に、いぬのせなか座の山本浩貴さんと対談をします。テーマは「一億総制作者時代のアーカイブ」。
事前に考えておきたいことや思い出しておきたいこともあり、イベントのプロモーションにもなるだろうとも思うので、色々と書いておくことにします。
ひとまず、イベントの概要だけまとめておきます。

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【概要】
まちのZINEフェス アフタートークイベント「一億総制作者時代のアーカイブ」
山本浩貴(いぬのせなか座)×森碧輝
ZINE、SNS。誰もが作る時代に何をどう残すのかー。
あなたは書く。あなたは作る。あなたは売る。その本は誰かに手渡され、読まれ、いつか忘れられる。一億総制作者時代に、何をどう残すことができるのか。ZINEフェスから、制作と出版の現在を問い直す。

【日時】2026年7月19日(日) 16:30-18:00頃
【会場】COZYCOFFEE(神戸市兵庫区荒田町1-18-8)
【料金】現地:1500円+1ドリンクオーダー/オンライン配信(2週間程度アーカイブ視聴権):1200円/アーカイブのみ販売(「Sanzui SHOP」にて):1200円
【登壇者】山本浩貴(いぬのせなか座)×森碧輝 司会:沖健汰(倉本一希)
【主催】Sanzui・まちのZINEフェス編集部
※当日の会場の様子は配信・録画が行われます。

チケットはこちらから買うことが出来ます。
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ここからは、このトークイベントに向けて、いま考えていることを少し書いておきたい。
山本浩貴さんが『文フリと批評』の中で自分自身の記憶をたどりながら文学フリマについて書いていたように、僕もまずは、自分がどのようにして文芸誌や文学フリマようなものに関わるようになったのかを、少し思い出してみようと思う。


①ヤドリギについて
僕が大学に入学したのは2021年だった。ちょうどコロナ禍のまっただ中で、大学に行くこともほとんどないまま一年間を過ごした。高校生活にどこか退屈していて、大学に行けば、さまざまな興味関心をもった人たちが集まり、あちこちで議論が起こり、何かが始まっていくのだろうと、僕はかなり素朴に期待していた。けれど、少なくともその期待は、すぐには叶わなかった。
翌年になって、少しずつ対面授業やサークル活動が再開された。しかし、大学という場所は、思っていたほど開かれた場所ではなかった。サークルは細分化され、それぞれの場所にはそれぞれの話し方や関心の範囲があった。もちろんそれは仕方のないことでもあるのだけれど、興味関心が移ろいやすく、ひとつの分野にうまく収まり切れない僕にとって、その細分化された場所はどこか居心地が悪かった。
京都大学では、今でも革命を唱える学生が演説をしている。サークルやバイトに明け暮れる学生たちが、その主張の内容ではなく、「演説をしている」という態度そのものに怪訝な表情を浮かべ、時には薄ら笑って通り過ぎていく。分断が進んでいた。僕は、そのどちらにも馴染めなかったのだと思う。形骸化したスタイルを貫くことにも、それを深刻に受け取らず、最初から何も起こらないものとして処理してしまうことにも、同時に嫌気が差していた。
たぶん僕は、福尾匠さんがたびたび書いているような、「言葉を真に受けてもらえる場所」を求めていたのだと思う。何かを言ったときに、それが冗談やポーズや意識の高さとして処理されるのではなく、ひとまず本気の言葉として受け取られる場所。もちろん、そこには危うさもある。けれど、少なくとも当時の僕には、そうした場所が必要だった。
そのさらに翌年、2023年になって、KYOTOGRAPHIEでのインターンなどを通じて、大学や所属を問わない人たちのコミュニティを知ることになった。メディアというものに明確に関心を持つようになったのも、その頃だったと思う。写真を撮っている人、詩を書いている人、DJをしている人、展示を作っている人。アウトプットの形式はそれぞれ違っていても、実は同じような問題意識を持っているのではないか。そういう素朴な実感があった。
ただ、そこにもやはり、どこか内輪的なノリはあった。僕はそれを、もう少し別の仕方で、人が集まる場所を作ってみたかったのだと思う。そうして2023年の夏ごろに、「ヤドリギ」というコミュニティを作った。
言葉が真に受けてもらえる場所、分野やメディアや思考様式の異なる人が出会える場所、ホモソーシャルでもなく、排他的でもない場所、そうした交流を通じて、同時代のなかにある何かしらの問題意識を認識し、共有できる場所。そういう場所を目指してヤドリギを作った。言葉が足りないところも多々あると思うが、取り敢えずは先に進む。また補足する機会はあるだろう(こういうやり方も、この数年間で身に付けたことだ)。


②文学フリマについて
ヤドリギでは、対話、読書会、文芸誌制作という三つの柱で活動を始めた。ここまではコミュニティとしてのヤドリギの話だったので、ここからは文芸誌の話をしたい。
ヤドリギを作ったときから、なんとなく文芸誌を作りたいという思いはあった。丁々発止とした議論に憧れていたことからも分かるように、当時の僕は、どこか「文壇」のようなものにも憧れていたのだと思う。それともうひとつ、これはアーカイブの話にも関わることだが、文芸誌を作ろうと思った強いきっかけがある。
「嘱望」という名前の本がある。僕が高校生から大学一、二年生の頃に書いていた小説、詩、短歌をまとめた本である。それを大学三年生になった頃、恋人が手製本してプレゼントしてくれたのだった。その本を通して、僕は、たかだか二、三年前のものだが、過去の自分の文章と向き合い直すことになった。これはかなり衝撃的な体験だった。
そこには、三年生になった僕が既に考えもしなくなったようなことが、極めて繊細な文体で書かれていた。その時々で本気で考えていたことも、いとも簡単に忘れられてしまう。そして、忘れてしまっていることにすら気づかなくなってしまう。それを思い出させてくれたのが、重力をもった、物質的な本であった。この体験が、その後の僕を引きずり回してきたことは間違いない。
そのとき僕は、既存の商業誌で書かれる文章では拾えないものがあるのではないかというように思うようになった。プロの書き手は当然優れた執筆能力を持っている。ただ、学生の頃の、弱かった頃の、繊細だった頃の、あるいはまだ何者でもなかった頃の思考や感受性は、時間が経つと失われてしまう。覚えているように見えたとしても、そこには想起という、どこかアクロバティックで恣意的な過程が入り込む。
それは自戒でもあった。僕はこの先、もしかしたら商業誌などで文章を書くようになるかもしれない。周りの友人たちもそうかもしれない。けれど、そのときに、いま考えていることを本当に思い出すことができるのだろうか。弱かった頃の思考を、繊細だった頃の感受性を、まだ整理されていなかった問題意識を、正確に取り戻すことができるのだろうか。不可能だろう。だからこそ、それらをあとから「蒸し返してくれる」ものとして、文芸誌を作りたいと思った。
異質な人たちが集まって書くこと。同時代的な意識を伝え、さらに多くの人にヤドリギに参加してもらうこと。そして、その時々の思考を、否応なく思い出させてくる物質的な装置を作ること。そうした問題意識があって、『ヤドリギ』を刊行したのだと思う。これもまた、いつか補足されるべきことだろう。
創刊号ができたのは、2024年の1月だった。そして、その記念すべき創刊号を最初に販売した場所が、同じ月に開催された「文学フリマ京都9」だった。それまで僕は、文学フリマというものをほとんど聞いたことがなく、ましてや参加したこともなかった。
出来立ての、不出来な文芸誌を、何の飾りつけもしていない机に並べた。当日、手書きで作った値札を添えて売った。買ってくれたのは、ほとんどが知り合いだった。それでも時々、ふらっと立ち寄って、話を聞いて、面白がって買ってくれる人がいた。坂本龍一の『音楽図鑑』が流れていた。何だかとてもたくさんの人がいた。搬入と搬出がやけに疲れた。僕にとっての文学フリマは、まずはそういう場所だった。
いつも驚かれるのだけれど、僕は同人誌文化も、批評文化も、ゼロ年代批評のことも、ほとんど何も知らずにヤドリギを始めた。いまでは事後的にいろいろ知るようになったけれど、当時は本当に何も知らなかった。だから、山本さんが『文フリと批評』で書いていたような文フリの熱気を、僕は知らない。もちろん、人が多いという意味では今の方が熱気はあるのかもしれないが、それとは別の熱気。文学や批評によって何かを変えられると思っているような、そういう熱気を、僕は知らない。
僕にとっての文フリは、とにかくたくさんの人がいて、それぞれがそれぞれの関心に基づいて本を作っている場所だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。
けれど、回を重ねるごとに、文フリに対する違和感のようなものも募っていった。それは、コロナが明けて大学での活動が始まったときの感覚に少し似ていた。みんながそれぞれ勝手にやっている。交流はあるにはある。けれど、そこから何かが始まっていく感じがしない。みんなが「自分も頑張っているし、みんなも頑張っているのだ」と確認して、そして家に帰る。そんな場所のように思えてしまう。
大きくなりすぎたこのプラットフォームを、本当に使いこなせている人はいるのだろうか。『ヤドリギ』も「いぬのせなか座」のように文芸誌であるにもかかわらず「評論・研究|現代思想・哲学」カテゴリで出し続けているが——ノンフィクションの比率は増え、評論の比率は下がり、数が多くなるほど、すでに名前を知っている人のブースへ向かう人が多くなる。それでも文学フリマは大きくなっていく。
このことに、どう向き合っていけばよいのだろうか。時代に任せておけばよいのだろうか。あるいは、もっと編集やキュレーションのようなものが必要なのだろうか。文フリとは別でやればいい、と言われるかもしれない。けれど、歴史があり、規模がある文学フリマだからこそできることもあるはずだ。巨大化する文学フリマは、同時代の表現を残すアーカイブになりうるのか。あるいは、膨大な表現を生み出しながら、そのほとんどを忘却へと流していく装置なのか。
今回のトークでは、そのあたりのことを、山本さんと一緒に考えてみたい。


③当日、そしてそれまでに考えてみたいこと
時間の都合上、ここまでしか書くことが出来なかった。ここからは箇条書きで、考えておきたいことを整理していく。

編集/キュレーション/アーカイブについて
・みなが制作者となっていくなかで、編集やアーカイブはどのような形を取りうるのか。
巨大なプラットフォームがあり、そのなかで無数のプレイヤーが動いている。一方で、編集者やキュレーターの比率はどんどん下がっているようにも見える。誰もが作る時代に、編集は何をするのか。アーカイブは何を残すのか。
・文学フリマはアーカイブになりうるのか。
僕と山本さんでは、文フリの捉え方がかなり違うように思う。山本さんが見てきた文フリと、僕が見ている文フリ。そのズレ自体を手がかりに、文フリの変化や可能性について考えてみたい。
・まちのZINEフェスは、文フリとは異なるアーカイブの形を作れるのか。
大規模なイベントとしての文フリとは別に、より小さく、街に根ざしたZINEフェスだからこそできる記録や編集の方法があるのではないか。

ZINE/同人誌/オルタナティブについて
・そもそも、ZINEや同人誌をアーカイブに組み込むべきなのか。
アーカイブはある種の権力と結びつきやすい。何を残すべきものと見なすか、誰がそれを分類するか、どのような文脈に置くか。そう考えると、ZINEや同人誌を安易に「アーカイブ」としてまとめることには危うさもある。
・ZINEや同人誌は、常にオルタナティブなものだった。しかし、全員が何かしらオルタナティブな表現をしているように見える時代に、オルタナティブであることは何を意味するのか。
中央と周縁という図式をもう一度効果的に取り戻すべきなのか。それとも、一律にオルタナティブなままであることを肯定できるのか。
・私的なアーカイブと公的なアーカイブを、どのようにつなげて考えられるか。
日記、ZINE、同人誌、個人の本棚、SNSの投稿。そうした私的な記録と、図書館や美術館や大学のような公的なアーカイブは、どこで接続しうるのか。

山本浩貴さん/いぬのせなか座について聞いてみたいこと
・山本さんは、ご自身の活動を「働きながらいろいろ雑多に生きること、その複合」のように書かれていたと思う。
そうした雑多さを、どのように整理し、どのようにアーカイブしながら活動を続けているのか。山本さんのように雑多に生きていきたいと思っている一人の若者として、具体的な方法論を聞いてみたい。
・山本さんの「レイアウト」という概念は、アーカイブとどう関わるのか。
何を残すかだけでなく、何をどのように並べるか、どの距離で置くか、どの順番で読ませるか。アーカイブを単なる保存ではなく、配置の問題として考えることはできるのか。
・早稲田文学時代には、どのような編集をしていたのか。
商業誌・文芸誌・同人誌・ZINEのあいだで、編集の方法や責任はどのように変わるのか。
・共同制作は可能なのか。
山本さんがいぬのせなか座を続けてきたこと、そして一人になられたこと。人と一緒に制作していくことの難しさや、それでも共同で作ることの意味について聞いてみたい。

メディアの速度/小説/AIについて
・小説の遅さをどう肯定できるか。
エッセイやSNSの言葉に比べて、小説は遅い。すぐには反応できないし、分かりやすく意見を表明することにも向いていない。けれど、その遅さにはどのような可能性があるのか。
・AIはアーカイブにどう関わってくるのか。
AIは、基本的にはデータ化されたものしか扱えない。そうであるならば、データ化されていないZINEや同人誌、手渡しされた本、会場での会話のようなものは、ますます捨象されていく可能性がある。そのことをどう考えるべきか。
・アーカイブを作り、それを別の人が読み解く過程には、どのような創造性があるのか。
残すことは、単に過去を保存することではない。未来の誰かが読み直し、誤読し、別の仕方で接続し直すための条件を作ることでもある。その意味で、アーカイブは制作の終わりではなく、別の制作の始まりなのではないか。

世代/コロナ/断絶について
・世代間のズレにどう向き合うか。
特に、コロナによって分断された世代として、僕は山本さんたちの世代が見ていた文フリや批評の熱気を直接には知らない。その断絶を、単なる喪失としてではなく、別の問いを立てるための条件として考えることはできるのか。
・同人誌文化も批評文化もよく知らないままヤドリギを始めたことは、弱さでもあり、ある種の自由でもあった。その無知を、あとからどう引き受けることができるのか。

だいたい、こんなことを考えている。
ZINEや文芸誌を作ること、文学フリマに出ること、誰かに本を手渡すこと、そしてそれらが忘れられていくこと。その具体的な手触りから、いま何をどう残すことができるのかを考えてみたい。

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